ギバー/テイカー問題をマウントポルノで消費しないために
暑いですね。いやもはや熱い。そしてこの言い方がもはや凡庸なほど、昨今の夏は狂ったように熱いです。慰めのように「平安時代はもっと暑かったのだ!」という啓蒙力高めのツイートが流れて来たんですが、平安人の暑苦しさとか令和のワイに関係ないですもんなあ。すぐに「前の戦争って応仁の乱どすか?ほほほ」とか言い出す京都の皆さんも、さすがに「平安時代はもっと暑かったどすなあ」とは言わないでしょうし。え、言いますのん?さすがどす。
さて、そんな季節のご挨拶はそろそろ終わりにして、今日はギバー/テイカーのお話でも書こうかなと。
といいながら、ギバーとテイカーという言い方、実はちょっと苦手というか、警戒感あるんですよね。そもそもこの手の安めの横文字あんまり好きじゃないですしね。加えて、仕事や人間関係の話が、いつの間にか「いい人」と「悪い人」を仕分ける倫理的なお茶の間品評会に陥りがち。いつもギバーは善人、そしてテイカーは悪人。構図としては分かりやすい。勧善懲悪みんなハッピー。まあ分かりやすいっちゃーわかりやすいんですが、だいたい現実は、そんなに親切な二色刷りではできていません。わお、「二色刷り」ですって、写真家らしい言い方!実はAIの提案です、チャッピーすごいね!
この記事は無料で続きを読めます
- (1)マウントポルノとしてのギバー/テイカー問題
- (2)構造的問題としてのギバー/テイカー問題
- (3)「すべてをテイクする人」と「すべてをギブする人」
- (4)循環を最大にする思考
すでに登録された方はこちら