写真展の前後で見える世界が少し変わる

写真展の振り返り。その前後で少し世界が変わるということ。
別所隆弘 2024.07.18
誰でも

今月のレター、まだ一通しか書いていなくて、それというのも前半の真ん中までは写真展の準備と実施があり、そしてそのあとは明日からのアメリカ行きの準備がありと、ちょっとスケジュール詰まり気味だったってのがあるんですが、それと合わせて、写真展というのは写真家の足を「止める」時間になるんですよね。物理的にも、そして精神的にも。

写真展の前後で自分の写真への取り組み方やその積み重ね、自分の写真がなんであるのかについて、ひたすら考え続け、そして期間中はお客さんに話し続けることになります。凄まじい速度の「語り直し」が、開催期間の前後にわたって続くことになって、その「言葉の嵐」は自分の頭の中をすごく掻き乱します。その結果、写真展を前後にして、少し見える世界が変わります。自分の写真を何百人の人に語り直すという行為を通じて、僕らは自分の過去と現在、そして今回は「未来」をも編み直すわけです。それは世界の見え方が少し変わることを意味します。新しく見える世界に少し戸惑う。だから足が止まるんですよね。でもそれは、写真をやっている中で最も大事な瞬間だと思っています。

ところで写真展って、実際にはとってもしんどいんです。特に今回は2グループの合同展示ということもあって、参加人数もそうですが、運営間の意思疎通というのもなかなか大変でした。僕は基本的には「何もやらない」タイプの代表というか、授業でもそうなんですが、ほったらかしが基本です。いいふうにいうと「自主性を尊重する」なんですが、まあ、要は僕はめんどくさがりなんですよね。そういうのが代表になっちゃうと物事が全然進まないので、今回は一緒に展示をやったITTOKOという写真グループの代表の二人が、本当に全てをこなしてくれました。とはいえ、日々重なり噴出する問題というのは、時にメシ食ってる間に「運営合同LINE」の未読が50通たまっちゃってるみたいなこともあって、その量は写真展本番が近づくにつれて、徐々に、そして最後は加速度的に増えていくわけです。写真展って、写真展前が一番「もうしばらく写真展やりたくないかも」って思うんですよね。

ところが、最初に書いたように、写真展の後、世界は少し変わるわけです。写真展の開催中はね、無我夢中です。お祭りの間、担いでいるお神輿そのものについて考える人っていないと思うんですよね。お祭りの間は、みんなでわっしょいわっしょいと一緒に踊るのが大事です。でも終わった後。祭りの片付けも終わり、みんな自分の家に帰り、またそれぞれがやるべきことに向かって違う道へと踏み出した後、自分たちが残した時間、空間が、「その前後」をくっきりと分けていることに気が付く。その前には見えていなかったことが、ほんのわずかだけどクリアになっている。色彩が変わり、世界の重みがリバランスされる。多分、自分の未来にとって、より望ましい方向に。

それが多分、写真展なんですよね。きてくれるお客さん、一緒に展示空間に立った仲間や友人たち、その人たちと一期一会で作り上げる「ことば」の空間。展示されているのは物言わぬ写真であっても、そこに満ちるのは我々の世界が常にそうあるように、言葉なんです。そしてその言葉が、僕の、そしてもしかしたら見にきてくれたあなたの歩く道をわずかに照らす、小さな灯火になるかもしれない。そんなことを願っているわけです。

今回の展示のDMでした。表紙の写真はKoichiくんの写真。今回の招待作家として、入ってすぐ横の一番目立つところで展示してくれました。

今回の展示のDMでした。表紙の写真はKoichiくんの写真。今回の招待作家として、入ってすぐ横の一番目立つところで展示してくれました。

裏の写真はうちのサロンの三谷飾屋の写真。展示がとてもよかった。そして今回一緒に展示してくれた仲間たち。改めてありがとう。またどこかで。

裏の写真はうちのサロンの三谷飾屋の写真。展示がとてもよかった。そして今回一緒に展示してくれた仲間たち。改めてありがとう。またどこかで。

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