個展を終えて、お礼とそして考えたこと。それは一冊の本を書くように。
個展が終わりました。来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。正確な述べ人数はわからないのですが、大阪のトークのタイミングで来てくださった人が80人強だったということなので、24日間の開催の通期で、少なくとも1000人くらいの方は来てくださったんじゃないかと思います。
たくさんの差し入れもありがとうございます。いただいたものは綺麗に食べ終えて、順調にすっかり太りました。幸せ太りですね、これから撮影で絞っていきたいと思います。
そんな個展ですが、開催前は「これが最後の個展になるかも」というような話をしていたのですが、今は逆で「数年後またやろう」と思っております。180度反対の気持ちになった理由は、個展を経てとてもいい意味でゼロになったからです。これまで自分がやってきたものの大半を一旦形にして皆さんに見ていただく過程を経て、個展が終わった今、また自由に模索できるような気持ちになっています。

最初にこれを見たとき嬉しかったなあ
これは逆にいうと、発表を経ないままで蓄積だけが積み重なっていくと、いずれその蓄積は表現者を縛っていく呪いにもなり得そうだと感じました。今日の話は「未完成でもとにかく一度結果を出した方がいい」という、個展を経ての直観についての話です。

今回のステートメントです。しっかり書きました。
そのように思うのは、自分のこの13年を振り返ると、まさに自分がそのような状態に徐々に陥っていたことに改めて気づくからです。
僕は個展を開催する前までは「開催するに足るテーマがこれまで見つけられなかったので、個展をできなかった」というようなことを考えていましたし、そのようなことをこのレターでも書きました。その思いは今でも変わらず、やはり個展をやるにはある程度のまとまった「テーマ」が必要です。一人の人間が写真だけであの空間を維持するには、単に「写真を並べました」では持たないと思うんですね。少なくとも風景写真だと、やはり単に綺麗な写真を並べただけでは、個展という形式にする必然性が薄くなると思うのです。

今回のメイン展示2枚。なぜ「煙」だったのかということを、来てくださった皆さんにお話させていただきました。二匹の龍について。
一方で、13年の蓄積は長すぎました。考えすぎたんです。おそらく、その長い時間の中で理想化されたセルフイメージのような「あるべき写真家としての自画像」が肥大化しすぎて、それが自分を縛る鎖となっていたことに気がつきました。簡単にいうと、どんなテーマを見つけても「その程度ではやる意味がない」と、即座に自分の行動を牽制してしまうような心性が身についてしまっていたのですね。
それはもう仕方がないというか、考えすぎた内容を本に書こうとすると、まとまりをつけられなくなって書き出しさえできなくなるのと似ています。その意味では、個展をやることは、長い記事を書くような、あるいは一冊の本を書くような過程にも似ていると感じました。というよりも、ほとんど本を書く行為そのものです。本を書くという行為にもテーマが必要なんですが、そのテーマが肥大化しすぎると永遠に書きだせないわけです。例えば「ドストエフスキーのような小説を書かなきゃいけない」となると、絶対無理じゃないですか。構想10年、執筆10年、みたいな。書き出す前に死んじゃいます。だからある程度のところで「えいやっ」と書き出す必要がある。本と同じように、個展もある時点で腹を決めて出す必要があるということなんです。

舞城王太郎の「煙か土か食い物」の英語タイトルが「Smoke, Soil or Sacrifices」だったので、そのタイトルをオマージュした自分の個展の英語タイトルもSが三つでないといけない、ということで、Scintillationなんていう見たことない単語を使ったのでした。何人かの方にそこまで気づいていただいて驚愕しました。
とはいえ、さっきも書いたように、テーマゼロでも成り立たないのが個展であるというのもまた感じました。というわけで、バランスが大事なんです。おそらくアウトプットを堰き止め続けすぎると、その自重で次の行動が不可能になる。溜めすぎたダムを一気に解放したら、その下流域の都市や街が飲み込まれてしまう、だから簡単には解放できない、というようなイメージです。なんでもタメ過ぎはよくない。
ゼロになった今だからわかるんですが、この「どの方向に走ってもいい」という身軽な感覚は久しぶりの喜びです。その解放の喜びと次へ走り出そうという意思は、兎にも角にも13年分の写真表現に、とりあえずであったとしても「形」を示すことができたから。個展の大きな収穫は、まさにその「形」にするという行為が、あなたに、表現者に、次への足がかりを与えてくれるということなんですね。

ある日の閉場の後の光景。ご来場者様が帰られた後のひっそりとしたこの時間もまた得難い経験でした。
だから、個展をまだやったことがない方には一度やってみてほしいと思うんです。そして来場者の方と一対一でお話しする機会を持ってほしい。そう、それも大事、むしろそれが大事。自分が示した「結果」を一人一人にお伝えする行為は、自己療養に似た魂の浄化の瞬間になります。
もちろん、物理的には大変しんどい。特に開催期間が長いと、単純に体がしんどくなります。ずっと立っているので腰は痛み足は毎日パンパンになります。ずっとお話しすることになるので、喉が枯れ、声が掠れ始めます。身体はとてもしんどい。でも期間中ずっと、そのしんどさに反比例するように、心は軽くなっていきました。その解放と療養の感覚は、表現者の「次」を作ってくれます。
というようなことを個展を終えた今思います。

お子さん連れの方にもたくさん来ていただきました。それは純粋に喜びです。
最初に書いたことをもう一度繰り返しますね。きてくださった皆さん、本当にありがとうございました。SNSでバズって百万人に見てもらうことの底の見えない不安に対して、千人の皆様と語り合った時間の充実は、今後の僕にとって大きな意味を持つ経験になりました。
合わせて、今回の個展開催の機会を与えてくださったニコンの皆さんにも心から感謝をお伝えしたいと思います。2022年以降の僕の表現の全ては、ニコンの皆さんのサポートなしには成立し得ないものです。そのサポートを経て僕は一人の表現者として僅かながら成長を遂げることができたような気がします。
また13年分の妄想じみた「思いつき」の全てを形にしてくださったニコンプラザの皆さんにも、感謝だけでは足りないほどにお世話になってしまいました。次またプラザでやらせていただく機会が来たら、その時は今回以上の展示プランで臨みたいと思います。あ、これはまた結構大変になりそうなやつだ…
次の個展は、今回のように「13年の結晶」ではなく、もう少し身軽に、未完成を含んだままに見ていただこうと思っております。というよりも今回も結局未完成の「実験」が個展の中核にありました。
次回またお目にかかれることを願いつつ、今ゼロになった僕は、再び撮り始めようと思うのです。
すでに登録済みの方は こちら